東京家庭裁判所 昭和38年(家)6300号 審判 1963年9月09日
申立人 山田すま(仮名)
相手方 大木太郎(仮名)
主文
本件申立を却下する。
理由
(申立の要旨)
申立人と相手方とは昭和二四年頃同棲するようになり、昭和二八年一二月一日婚姻届をすると共に同日相手方は申立人とその前夫原田信彦との長男幸彦と養子縁組をなし家族三人起居を共にしてきたが、昭和三七年四月二四日申立人と相手方とは協議離婚し同時に相手方と養子幸彦も協議離縁した。この協議離婚をなすに至つた理由は、相手方は申立人と同棲当時は料理店の調理士として勤務していたが、その後妹大木くみの協力を得て相手方が営業主となり東上線大山駅附近の相手方現住所にバー「リオ」を経営し一ヵ月の売上平均六、七〇万円、純益月収二、三〇万円にのぼる隆昌な営業をしていたにもかかわらず、競馬に凝り自ら手にする収入のほとんどは馬券購入に当て申立人には一ヵ月僅か二万円程度の生活費しか渡さず、あまつさえ申立人の再三、再四にわたる競馬をやめるようにとの懇願に耳を傾けないばかりか却つて家財道具や衣類等を入質して馬券購入に当てる有様で、そのため一家は悲慘な生活を繰り返すばかりであつたので、遂に昭和三七年四月一〇日頃相手方が申立人に対し馬券購入の資金を要求し申立人がこれを拒絶したことに端を発し、同月二四日協議離婚をなすに至つた。相手方は上記の如く月収二、三〇万円に及ぶ純益を得ているのに対し、申立人は何らの資産、収入もなく、かつ上記協議離婚に際して相手方から財産分与を全く受けていないので、離婚に伴う財産分与として金一〇〇万円を相手方から申立人に支払う旨の審判を求めて本申立に及ぶ次第である。
(相手方の主張)
申立人と相手方とが昭和二五年頃から同棲し、昭和二八年一二月一日正式に婚姻し、昭和三七年四月二四日協議離婚したことは申立人主張のとおりである。しかし、バー「リオ」の経営は、昭和三四年一一月頃相手方の実妹大木くみの出資により始めたもので、相手方が保健所に対し営業主として届出でマスターとして店に出ているのは土地柄女である妹くみが表面に立つのは営業上不安があつたためである。相手方には当時バーを開店する資力もなかつたのであり、バー「リオ」の営業主は妹くみであり、相手方はただ名義を貸しマスターとして働き妹くみから給料を貰つていたにすぎない。相手方が申立人との離婚当時有していた財産は、申立人が現在居住している家屋の借家権、八万円と五万円の定期預金二口及びタンス、テレビジヨン等若干の家具のみであつて、これらすべては離婚の際申立人の許に残してきたのであり(申立人との間には何ら協議はしなかつたが自己の権利は放棄して将来返還等を請求する意図は全くない。)、かつ相手方は現在バー「リオ」で月給二万円を貰つて働いている身で資産と称すべきものは何ら無いので、これ以上の財産分与の要求には応じられない。
(判断)
申立人及び相手方各審問の結果並びに当庁調査官三井政治、同遠藤富士子の各調査報告書、東京都板橋東保健所長山崎悦作成の回答及び筆頭者山田すま、同大木太郎の各戸籍謄本を綜合すると次の事実が認められる。
(イ) 相手方は昭和二四年一一月頃疎開先から引揚げて日暮里において妹大木くみと飲食店を経営しはじめたところ、昭和二五年頃申立人が使用人として働きに来たことからお互いに知り合い、間もなく同所において同棲するようになつた。当時申立人は未だ前夫原田信彦と婚姻中であつたが事実上別居状態にあり、長男幸彦を連れて相手方と同棲するに至つたのである(申立人と原田信彦とは昭和二八年四月八日協議離婚した。)。日暮里における飲食店経営は昭和二六年頃経営不振のため閉店のやむなきに至り、相手方と妹くみは同店を二四万円で売り払いこれを折半して、相手方は申立人とその長男幸彦を連れて申立人の現住所である借家に移転した。
(ロ) 相手方はその後日本橋の洋食店、中山の日本料理屋或は新富町の小料理屋にコツクとして或は料理人として勤め、月給一万一千円乃至一万六千円は母月手をつけずに妻たる申立人(相手方は申立人と昭和二八年一二月一日婚姻届をすると共に幸彦と養子縁組をした。)に渡すという一応一家の主人として極めて真面目な生活を送つていた。そして、この状態は当事者の離婚に至るまで続いていた。しかし、相手方にも唯一の欠点である競馬という道楽があり、申立人が少ない収入をやりくりして貯蓄し少しまとまつた金ができると相手方はそれを持ち出し馬券購入にあて、それでも足らないと家財道具まで入質するという状態であつた。一回の質入高は五、六千円程度であつたが、収入が少ないのでこれを受け出し、多少の貯蓄ができるようになるまでには一年乃至一年半かかるのであつた。従つてまた相手方の競馬通いも一年乃至一年半毎に思い出したように行われるのであつた。
(ハ) 相手方は昭和三四年一〇月三一日それまで勤めていた新富町の小料理屋を忙しすぎて身体が続かないので辞めたが、丁度その頃妹大木くみがそれまで池袋で経営していた喫茶店が区画整理のため取り壊しとなるので、その代りとして東上線大山駅附近の相手方現住所となつている家屋を買い取りバー経営のため改装中であつた。そこで、相手方は妹くみからバー経営の手伝いを依頼されてこれを引き受けることになつた。かくして、バー「リオ」は同年一一月開店し、相手方はマスターとして、また名義上営業主として同店において働くことになつた。しかし、同店の営業の主体は妹くみであつて、相手方は土地柄女であるくみが営業の表面に立つことは同店の経営に不安が多いので、名義上営業主となりまたマスターとして店に出ていたのである。従つて、相手方は妹くみから月給として当初は二万円、昭和三六年頃からは三万円を貰つていたのである。
(ニ) ところが、昭和三七年三月頃相手方がバー「リオ」の売上金約五〇万円を競馬に使い込んだことが発覚し、相手方は妹くみから同店を解雇されてしまつた。この時、妹くみは兄である相手方の将来を考え更生資金として二〇万円を相手方の妻たる申立人に預けたが、相手方は早速申立人に対し馬券購入の資金を強要し、同年四月一〇日頃までの間に前後数回にわたり合計約九万円の金を持ち出して使い果し、更に同日頃申立人に対し馬券購入の資金を要求したことから口論となり、にわかに別れ話が持ち上がり、同月二四日協議離婚となつた。それに伴い同日相手方は養子幸彦とも協議離縁した。
(ホ) ところで、離婚当時の申立人及び相手方の財産として主要なものは、申立人が現住している家屋の借家権、八万円と五万円の定期預金二口及びベビータンス、茶ダンス、テレビジヨン、ラジオ各一があるにすぎなかつたが、相手方はこれらすべてを申立人に残して上記家屋から立退いたのであつた。これらの財産は当事者のいずれの固有財産であるとも明らかでないので共有(準共有)に属するものと推定すべきところ、離婚に際して当事者間においてこれらの財産の帰属分配について協議した事実はないが、相手方は上記の如くこれらすべて申立人の許に残して立ち去り今日に至るもその返還を要求せずかつ審判期日において将来これら財産の返還を要求する意思もない旨を陳述しているので相手方はこれらの財産についての共有持分を放棄したものと認められ、従つて上記各財産は申立人の単独所有に帰したわけである。以上のほかには申立人又は相手方の財産として見るべきものはない。申立人はバー「リオ」の営業権は相手方のものであると主張するが、営業の主体は大木くみであつて相手方は名義を貸しているにすぎないことは上記認定のとおりである。
(ヘ) 相手方は申立人との離婚後母からの懇願もあつて再びバー「リオ」で働くことになり、現在同店に住み込みで月給二万円を貰つて暮しており、年令五一才の男子としては誠にわびしい将来に不安の多い生活を送つている。
二、以上の事実関係に基づいて、相手方から申立人に対して財産分与をさせるべきか否かを考えるに、上記の如く、当事者間に財産分与の協議こそなされなかつたが申立人は離婚当時相手方との共有財産であつた定期預金等をすべて相手方の持分放棄によつて取得し事実上の財産分与を受けているのであつて、相手方の資産収入生活状態等から考えて申立人と相手方との離婚に伴う財産分与としては上記の程度で十分であると認められるから、更にこれ以上の財産分与を求める本件申立は相当でないものとして却下すべく主文のとおり審判する。
(家事審判官 加藤令造)